知らないのに知っているふりをすることこそ、最も非難されるべき無知ではなかろうか。【ソクラテス】

会話していて何か問題が起きる時、その原因の多くは無知にある。

他人に対する無知、人間関係に対する無知、感情への無知、時と場合による無知、言葉への無知、会話のテーマに対する無知……。

さらに知らないのによく知っているという思い込みがまだ加わると、問題はいっそう深刻になる。

知らないことがたくさんあることを受け入れている人は、大きな顔をせずに謙虚になる。

問題は中途半端な知識しかないのに全てを理解していると慢心している人だ。

問題を起こして人を傷つけるのは、たいていそんな人たちだ。

では、完璧な知識を身につけない限り、何も言ってはいけないのか。

そうではない。

大切なのは、この宇宙の全てを知ることはできないことを受け入れる謙虚さと、勉強と努力をし続ける姿勢だ。

自分の無知を知れば、言葉遣いも自然と謙虚になる。

命令よりもお願いが、批判よりも助言が、主張よりも傾聴が、より謙虚な行動だ。

ソクラテスは「自分の無知を知る」謙虚さと知性の豊かな会話によって、人々に自分の無知を気づかせたのだ。


これも耳が痛い話だな。

他人の上に立ちたい人は多い。

そういう人は自分の学力や知ってることを見せびらかして優越感に浸ろうとするんだけど、ソクラテスはそういう姿勢を痛烈に批判してるわけだ。

昔、やたら決めつけるような言い方をする人がいた。

それに対して思い切って疑問点を質問してみたら、「あなたにはまだ早いから基礎から学びましょう」っていう回答が来た。

SNS上でのやり取りだったんだけど、文章だけで明らかに不機嫌になってることがわかった。

申し訳ないんだけど、「ああ、この人も知らないんだな」って思った。

この件から、あんまり大きなことは言わない方がよさそうだと感じた。

わからないことを質問された時は、「わかりません、ごめんなさい」の態度が大事だと思う。

謙虚になるのは、結構大変。

自分が下だってことを認めるようなものだから。

ちょっと話は変わるんだけど、他人がどれだけ優れてるかはわからない。

他人がどんな人生を送り、どんなことを学んできたかはわからないし、

学校の勉強では自分の方が優れていても、別の分野では他人の方が遥かに優れてるかも知れない。

人をこけにしていると、いつか痛い目に遭いそう。

世の中の仕組みにも理解できないことはいっぱいあるけど、それなりの理由があるんだろうな。

他人に対しても世の中に対しても、謙虚な姿勢を忘れないようにしたい。