世界の出来事と問題は数えきれないほど多い。
物知り博士でなければ、魅力的で有意義な話はできないのか。
孔子によれば、そうではない。
孔子は生前から名高い学者だった。
全国の偉人たちの尊敬を集め、3000人もの弟子を抱えていたという。
孔子の死後もその思想は受け継がれ、2500年が過ぎた今日までも大きな力を及ぼしている。
偉大な業績を残した孔子だが、孔子にもわからないことは多く、自分が知らないことは誰にでも質問した。
そればかりか、誤った知識を弟子から批判されることもあった。
にもかかわらず、孔子の哲学に絶大な力と人気があったのは、人並外れた観点を持つ人物だったからだという。
身分だけで人を評価していた時代、孔子は人格だけで人を見た。
厳しい刑罰で民を統治していた時代に、「為政者は風であり、民は草である」と言った。
つまり、風になびく草のように、為政者が善を為せば民は自然とそれに従うのだから、民を処罰しようなどと考えず、自身の修養に努めるべきだという意味だ。
観点というのは、木の根のようなもので、深くしっかりと根を張っていれば、細かな知識のない分野についても十分に深い話ができるのだと、孔子は考えた。
孔子は頭も人格も良かったけど世界の全てを知っているわけではなく、人や物事の本質を見る目に長けていて、深く考えることができる人物だったんだ。
「為政者は風であり、民は草である」、他人を変えるのではなく自分を磨けっていうのは面白い見方だな。
観点を持っていれば細かな知識がなくても深い話ができるっていうのは少し気をつけた方がいいんじゃないかな。
詳しくないのに知ったようなことを言うと、結構痛い目を見る気がする。
知識はある方がいいと思う。
それを元に深く考えることが大事ってことだと思うから、そこは同意だ。