同意することと、理解することは違う。

それは正しい。そして誤りだ。【元暁】

これは、理解できるという意味では正しく、同意できないという意味では誤りだという意味だ。

理解とは相手の立場を考慮することだが、同意は相手の言い分をまるごと支持することだ。

誰かがある主張をした時、その主張に同意はできなくても、その人がその主張をするに至った背景や理由を理解することは十分可能だ。

もちろん主張を理解すると同時に同意することもできる。

元暁はこのように理解と同意を区別し、仏教の世界で衝突するさまざまな理論を仲裁するために尽力した。

全ての理論を理解しようと努めつつ、選別して同意する形をとったのだ。

また、理論を正しいか誤っているかで二分するのではなく、各理論の正しい点は受け入れ、誤った部分は批判した。

これが元暁の和諍思想だ。

和諍思想は現代でも会話する際に応用できる。

同意できないことは理解もしようとしない人は多い。

しかし二分法的な態度よりも、同意と理解を区別する方が望ましい。

同意するかは別にして、なるべく相手の立場を理解しようとする姿勢は必要なのではないだろうか。

たとえ人の意見に同意しなくても、その人がどのような人生を送りその意見に至ったのかを考えれば、相応の理由があることが理解しやすくなる。

そうすれば意見が違うからといって、その人を憎んだり衝突したりといったことも避けられる。

そして、より平和な状態を目指すことが可能になる。