巫女と棺桶屋は立場が違う。【孟子】

矢を作る職人は鎧を作る職人よりも、慈愛の心を持たないのだろうか。

そうではないだろう。

矢を作る職人は、矢の出来が悪くて人を傷つけられないようでは困るし、反対に鎧を作る職人は鎧の出来が悪くて人を守れないようではだめだ。

人の厄払いをする巫女と、人が死ななければ困る棺桶屋も、これと同じ関係だ。【孟子

矢を作る職人が悪人で、鎧を作る職人が善人、というわけではない。

誰だって、生きるため、お金を手にするための活動をしなければならない。

巫女は人の厄払いをし、棺桶屋は人の死を待つしかない。

人間が自分の利害に沿ってものを考えるのは当たり前のことだ。

人を傷つける仕事をする人も、自分や自分以外の大切なものを守るために、それをしなければならないわけだ。

一部分だけを見て悪だと決めつけるのは早く、違うところから別の部分も見なければならない。

教師が生徒から高評価を得たければ、生徒の立場になればいい。

自分が生徒だったらどういう授業を好むのか、冷静になって考えてみるといい。


立場によってしなければならないことが変わり、その行動と人間性が一致してるわけじゃないというお話。

この、いいことをしてるから善人で傷つけることをしてるから悪人、というわけではないという見方が面白かった。

棺桶屋は人に死んでもらわないと仕事にならないし、死んでほしいと思っているから悪人、というわけじゃない。

もちろん人に死んでほしいと思っていない棺桶屋の方が圧倒的に多くて、心を痛めながら仕事をしていると思う。

じゃあしなければいいという話になるかというと、そうでもなく、必ず誰かがしなければならない。

人を見る時は一部分だけでなく、他のところも見ることが大事だというお話だと思う。