修養の目的は善人になることではない。
まず自分自身のことを理解することにある。
自分自身を深く理解すれば、自分を愛せるようになる。
慧能大師は、「不思善不思悪」、悪はもちろん善についても考えるな、既存の慣習や規範にとらわれるな、と言った。
学校や社会から刷り込まれた規定や慣習を疑って初めて、本当の自分に会える。
「善良な私」「礼儀正しい私」「男らしさ」「女らしさ」を捨てることで、本当の自分が見えてくる。
自分が本当に好きなものは何なのか。
自分の本当の夢は何なのか。
それを知らなければならない。
という意味の言葉。
すごいいいこと言ってるし、僕もそうしたいんだけど、世の中のルールがそれを許してくれるのかな。
これって要は自分の欲望を剥き出しにしろってことだと思うんだけど、そんなことしたら大変なことになるじゃん。
昔「みんながやったらやばいことはするな」って言ってる人がいて、その考え方だと世の中は平和になるなって納得した。
本当の自分が許される世の中になればそうしようかな。