私は物知りだと言われているが、そうではない。誰かからものを聞かれて、私もわからなければ、端から端まで調べた上で最善を尽くすのだ。【孔子】

孔子だからといってすべてを知っているわけではないのに、多くの人が孔子のもとを訪れて、質問したり助言を求めたりした。

質問に答えられない時、孔子は端から端まで調べ尽くした。

ありとあらゆる可能性と主張を考えて、それらを総合した後に結論を導き出したのだ。

一つの回答を見つけても、「それは本当に正しいだろうか」と言って、端から端まで調べ回った。

多くの異なる意見にも広く耳を傾けてから、自分の見解を決めたに違いない。

自分の見解を決めるということは、見たままの姿を信じないということだ。

与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、それに疑問を持つことだ。

一つの意見にも、それを反対する意見にも耳を傾け、多様な主張を集めた上で自分の見解を導き出そうという意志を表明することだ。

話を聞く時は論点を定めることだ。

聞き上手とは、ただ聞いたことをそのまま受け入れることではない。

言葉の左から右までを探り、その核心と論点を把握しなければならない。

これが孔子のやり方だ。

入ってきたことを常に調べ尽くすことで、知性は伸びるのだ。


孔子に質問する人も孔子が全てを知ってるわけじゃないってわかってて質問したってことは、孔子からの回答が欲しかったんだろう。

それだけ人気だったんだろうな。

「この人からの回答が欲しい」「たとえ言ってることが全く同じでもあの人じゃなくてこの人からがいい」っていう気持ちはとてもよくわかる。

予想だけど、知性だけでなく、仁徳もある人物だったんだろう。

この姿勢は尊敬するな。

知仁勇の勇。

知仁勇とは知識、優しさ、勇気のこと。

齋藤孝さんによれば、今の大学生には知識と優しさは十分だが勇気が圧倒的に足りないらしい。

では勇気とは一体何なのか?

それは「人を傷つけてでも自分の言いたいことを言うこと」だと思う。

日本人は優しい。

内心でどう思ってるかはわからないけど、表面上は人に優しく接する。

でも人を傷つけてでも自分の意思を通すことができる人は多くはないと思う。

周りから責められるのは苦痛だし、人を傷つけると自分も傷つくから。

事が大きくなったら沈静化させるのも大変だ。

だから人は極力人を傷つけることは避け、穏便に済ませようとする。

基本的には正しいけど、そうしない方がいい時がある。

自分を傷つけた人に、その人を傷つけたくないからと、言いたいことを言わなかったら、ずっと怒りとかもやもやを抱えたまま生きることになる。

過去そういうことがあって、2年間ずっと言いたいことを我慢していて、とうとうしきれずに言ったことがあった。

罪悪感もあったけど、すごい解放された気分だった。

まあ、言いたいことはすぐ言えばいいのかというと、それは時と場合によるんだけど。

大事なのは勇気を持つこと。

もちろん人に優しくしたり、傷つけないようにするのは大事なこと。

しかし人生では、たとえ他人を傷つけてでも、自分の意思を通さなきゃならない時がある。

自分を守れるのは自分だけだ。

心よりも重要なのが知性である。【バガヴァッド・ギーター】

普通、世の中では心が大事だと言われる。

教科書や大人たちは、勉強より心を大切にしろというようなことを言う。

しかしバガヴァッド・ギーターでは、心よりも知性が大事だとされている。

医者が人を救う時、優しさではなく知識や技術が必要なように、人は心より知性が大事だというのだ。

私たちは、心だけでは何も為しえないことを知っている。

善良で優しい心を持っていても、それを支える知性がなければ何にもならない。

善意の行動でも、知性が伴わなければむしろ悪い結果をもたらすことがある。

だから、相手と良い関係を作りたければそれを身につける必要がある。


これは同意だな。

相手のために何かしようと思っても余計なお世話になることは世の中にいくらでも溢れてる。

時と場合によっては何もしないことが大事だし、そもそも相手のために何かしたいって思うこと自体が、もう自分のためなんだよね。

自分のためなのに「あなたのためを思って」などと言ってはいけないし、本当に相手のためなら、相手の嫌がることはせずに、相手が何を望んでいるのかをはっきりと知る必要がある。

その際、自分のこうしたいという欲求を抑える必要もある。

そうやって最善の結果を出すために必要なものが、知性だと思う。

巫女と棺桶屋は立場が違う。【孟子】

矢を作る職人は鎧を作る職人よりも、慈愛の心を持たないのだろうか。

そうではないだろう。

矢を作る職人は、矢の出来が悪くて人を傷つけられないようでは困るし、反対に鎧を作る職人は鎧の出来が悪くて人を守れないようではだめだ。

人の厄払いをする巫女と、人が死ななければ困る棺桶屋も、これと同じ関係だ。【孟子

矢を作る職人が悪人で、鎧を作る職人が善人、というわけではない。

誰だって、生きるため、お金を手にするための活動をしなければならない。

巫女は人の厄払いをし、棺桶屋は人の死を待つしかない。

人間が自分の利害に沿ってものを考えるのは当たり前のことだ。

人を傷つける仕事をする人も、自分や自分以外の大切なものを守るために、それをしなければならないわけだ。

一部分だけを見て悪だと決めつけるのは早く、違うところから別の部分も見なければならない。

教師が生徒から高評価を得たければ、生徒の立場になればいい。

自分が生徒だったらどういう授業を好むのか、冷静になって考えてみるといい。


立場によってしなければならないことが変わり、その行動と人間性が一致してるわけじゃないというお話。

この、いいことをしてるから善人で傷つけることをしてるから悪人、というわけではないという見方が面白かった。

棺桶屋は人に死んでもらわないと仕事にならないし、死んでほしいと思っているから悪人、というわけじゃない。

もちろん人に死んでほしいと思っていない棺桶屋の方が圧倒的に多くて、心を痛めながら仕事をしていると思う。

じゃあしなければいいという話になるかというと、そうでもなく、必ず誰かがしなければならない。

人を見る時は一部分だけでなく、他のところも見ることが大事だというお話だと思う。

君は私が多くを学んで、それを暗記する人間だと思うのか? 違う。私はただ、一つのことで万事を貫くのだ。【孔子】

世界の出来事と問題は数えきれないほど多い。

物知り博士でなければ、魅力的で有意義な話はできないのか。

孔子によれば、そうではない。

孔子は生前から名高い学者だった。

全国の偉人たちの尊敬を集め、3000人もの弟子を抱えていたという。

孔子の死後もその思想は受け継がれ、2500年が過ぎた今日までも大きな力を及ぼしている。

偉大な業績を残した孔子だが、孔子にもわからないことは多く、自分が知らないことは誰にでも質問した。

そればかりか、誤った知識を弟子から批判されることもあった。

にもかかわらず、孔子の哲学に絶大な力と人気があったのは、人並外れた観点を持つ人物だったからだという。

身分だけで人を評価していた時代、孔子は人格だけで人を見た。

厳しい刑罰で民を統治していた時代に、「為政者は風であり、民は草である」と言った。

つまり、風になびく草のように、為政者が善を為せば民は自然とそれに従うのだから、民を処罰しようなどと考えず、自身の修養に努めるべきだという意味だ。

観点というのは、木の根のようなもので、深くしっかりと根を張っていれば、細かな知識のない分野についても十分に深い話ができるのだと、孔子は考えた。


孔子は頭も人格も良かったけど世界の全てを知っているわけではなく、人や物事の本質を見る目に長けていて、深く考えることができる人物だったんだ。

「為政者は風であり、民は草である」、他人を変えるのではなく自分を磨けっていうのは面白い見方だな。

観点を持っていれば細かな知識がなくても深い話ができるっていうのは少し気をつけた方がいいんじゃないかな。

詳しくないのに知ったようなことを言うと、結構痛い目を見る気がする。

知識はある方がいいと思う。

それを元に深く考えることが大事ってことだと思うから、そこは同意だ。

60を半分で割って20足したら?

この問題、60÷2+20=50と思ったけど、答えは22らしい。

60を60の半分で割ってだから60÷(60÷2)+20=22になるんだと。

なんか意地悪な問題だなって思った苦笑

実際「何の半分なのか書かれてないから問題として不適切」って言われてた。

半分だから1の半分の0.5で割って140って答えてる人もいた。

ただ、確かに「半分で割って」だから「半分にして」ではないし、2で割るのは間違いなんだろうな。

パッと見ただけでさっさと答えてしまったけど、問題をちゃんと読む国語力が必要だなって思った。

遊戯王GXの主人公、遊城十代について。

突然だけどアニメのキャラクターの話をしたいと思う。

十代は明るくて仲間思いな人物だが、他人と距離を取ってるような、ドライな一面もある。

108話で翔に、対戦相手を尊敬することと勝ち残らなきゃならないことでの葛藤について相談された時、興味なさそうに「ふーん」って返し、十代みたいにしなきゃだめかと聞かれて「俺とお前は違う人間だしなー」って返した。

翔は友情を重んじている十代に冷たくされたと感じて走り去ってしまった。

「翔なら大丈夫だ」という自主性を重んじる対応だったわけだけど、この時一緒にいたヨハンからは「十代って意外と冷たいんだ」と言われてしまう。

正直なところ、初めてここを見た時は僕も十代らしくないというか、普段熱血とか友情とか言ってる割にはちょっと冷たいなって思った。

でも、十代らしくないわけではなく、ヒーローとしては仕方ないのかなって思う。

十代はヒーローを扱うデュエリストで、自身のこともヒーローと思っている。

87話で洗脳された万丈目とデュエルした時、「お前がそんな風になったのには俺に責任がある。友達が負けて辛い思いをしているのに俺は気づいてやれなかった。そんな自分にムカついてんだよ」って言った。

しかし、万丈目が洗脳されたことに関しては、洗脳した斎王に責任があるのであって、十代には全く何の責任もない。

それなのに自分に責任があると言ったのは、強烈な仲間思いだったから。

十代はヒーローとして、他人を守る使命感を持っているから、他人と普通の友達にはなれず、無意識に距離を取っていたんだと思う。

実際十代がいなければ、作中で万丈目や翔は何回か死んでいた。

ちょっと残酷な気もするけど、十代にとって万丈目や翔は、対等な仲間ではなく、守るべき対象だったんだと思う。

十代は3期で突然現れたヨハンとすぐに親友になり、2回もタッグを組んだのに、入学してから一緒だった万丈目とはタッグを組まなかった。

万丈目とのタッグも見たかった。

色々あって初回と比べて4期ではまるで別人になったけど、最後は大円団で終わってよかった。